【読書感想】『[禅的]持たない生き方』を読みました
マインドフルネスとミニマリズムに興味があり、amazon readingにて読みました。
苦しみの元は執着であるということは前回読んで、そしてブログでもまとめた「サーチ・インサイド・ユアセルフ」から学んでいました。その執着をなくす意味でも【禅】の考え方は非常にためになると感じています。
【禅】の話、宗教の話でとっつきづらい本かなと思うかもしれませんが、そんなことはなく、著者の考え、【禅】の考えが非常にわかりやすく書かれていて、とても読みやすい本だったと思います。
日本の文化である【禅】の考え方は日本人の私にとっては信念としてしっくりとくる考え方でもあります。今日本にある建造物や入浴などの文化も【禅】から来たものであり、今ある自分の価値観に近いものが多いです。とても共感できる点が多い1冊でした。
本書から学べる【禅】の持たない要素を紹介します。
・著者について
禅僧である著者は東京広尾ある臨済宗大徳寺派香林院の住職であり、12歳時から仏門に入ったそうで、大学を出てから雲水と呼ばれる修行を20年間されていたそうです。
著者は20年間修業をしてきて、修業とはいかに自分に厳しくなれるかということであると気付いたそうです。そして、自分に厳しくなれる方が生きることには楽になることを知ったと述べています。
【禅的】持たない生き方
・1つものを持てば【執着】が1つ増える
著者はものがあることが当たり前の生活にならないように心がけているそうで、ものを減らすには「ものを持たない方が幸せを感じられる」ということを意識し、心の中にとどめておくことが、ものを減らすことへの第1歩となります。
一つひとつのものに対して執着が生まれると、心を乱す原因が増えます。それなら、初めからものがない方が楽だし、心も乱れません。と語ります。
・【禅】の考えを取り戻す
著者は禅僧であり、禅僧はものをほとんど持っていません。お寺での生活の中には必要最低限のものしか置かず、質素でありつつも工夫や知恵が含まれています。そして、その根底には【禅】という考えがあります。
日本古来の生活様式——例えば茶道やお風呂、建物、漬物など―—それが【禅】から来たものであることを意識していなくとも生活に染みついています。【禅】は日本教のようなものであり、日本人の生活は、まさに生活そのものが【禅】であることを指しています。
しかし、現代人は宗教を持つことに無関心であり、自分の生活の中に支柱がない暮らしをしています。
薄っぺらくなった現代人の日々の暮らしに、今こそ【禅】の考えを意識して取り戻すことで、現代人はより良い暮らしができると断言します。
ものを持たないための心得
・「所有とはすなわち執着である」と考える
物を持つことがいけない理由として、持っているものに付随して次から次へとものいろいろな【執着】が発生していくことが挙げられます。
——例えば調理器具を持てば、食べるものにこだわりが生まれる。その調理器具を手入れするための道具が欲しくなる。このように連鎖して執着が増してしまいます。
【執着】を捨てることができれば身の回りの物は本当に必要最低限のものだけになるのです。
・「物がある」のが当たり前だと思わない
ものにあふれる生活をしていると、それがあって当たり前になってしまいます。
そのもの自体に感謝することもなくなってしまいます。ものをなくしてからそのありがたみに気づく話もよく聞きます。
まずは自分が「あって当たり前」だとおもっているものを見直すとよいでしょう。
・ 持たない工夫を楽しむ
物がなければ何かで代用しようと考える。その工夫を楽しむことです。物が豊かになればなるほど人間は自分の頭で考えなくなってしまいます。現代では様々な便利グッズが売られていて安いからと言ってつい買ってしまうかもしれません。
しかし、買わなくても何かで代用できないか使う必要のないものもたくさんあるのではないでしょうか。
もちろん失敗することもありますが、失敗があるからこそ工夫が生まれるのです。
悪い感情を「持たない」
・精神的に「持たない」生き方
邪念を払って精神を統一し、悟りの境地に至ることを目指す【禅】では悪い感情を持たないことが非常に重視される考え方です。
・人と比較しない
誰にもコンプレックスがあるとは思いますが、どんなに優秀に見える人でも、弱点があり、やはり同じ人間なんだという部分があります。人と比較するのではなく自分の持てる力を最大限に生かすことに集中した方がいい。
劣等感や嫉妬のような感情を持たないためにも、まず自分と他人を比較しないことが重要です。自分は自分。他人は他人というスタンスを確立させることです。
自分の心を見つめる時間を作ってみてください。お風呂でも電車の中でもよいです。意識してそう時間を持つことが重要です。自分を見つめるときは自分の長所はどこか自分の短所はどこか自分に問いかけてみます。自分の中にはいろいろな自分がいます。そのどれもが自分だと思って否定せずに受け入れることが大切です。
人の能力が最大限発揮されるのはその人が無心の状態にあるときです。
外のことを意識せずにいること、精一杯その時々を一生懸命に過ごせば、そこがすべての真の世界になります。
外の世界を意識せず自分と向き合うために、心をコントロールするための有効な手段として【坐禅】があります。
坐禅を始めてすぐの時期は精神的プレッシャーや足が痛いなどのストレスがあります。しかし坐禅を毎日3カ月も続けて慣れてくると、イライラが落ち着き、迷いや悩みが軽減されていきます。意識は考えることに集中して、体は深い呼吸をします。坐禅を気持ちを整理することができるようになって、とてもリラックスができるのです。
坐禅で心を集中することに慣れることは、困難な状況に陥った時に心を落ち着かせることができるようになります。時間がなく、坐禅ができないときでも深呼吸をするだけで自分の心を落ち着かせるようになります。
余計な人間関係を「持たない」
・人間関係は「良い加減」で
「いいかげん」ではなく「良い加減」です。人間関係は人なりの適温というものが存在します。それが「良い加減」です。それを把握して、人との付き合い方を考えてみるのも大事なことです。
人に気を使いすぎる人は自分に無理をしてまで交友関係を広げる必要はありません。友達が多い方が人間的にいい人ではないか、友達が少ないと人間として欠陥がある人と思われるのではないかという不安が誰しもあるのです。
しかし、人と比べず、自分には自分のあった人間関係の深さと広さがあるということがわかっていれば、むやみにSNSでの交友関係や友達を増やそうとしなくともよいのです。
・他人は変えることができない
誰にでも苦手な人、嫌な人がいると思います。そういった人とは無理に付き合う必要はありません。しかし、親戚や会社、学校などの逃れられない人間関係と付き合う場合はどうでしょうか。これは自分の心の持ち方を変えるしかありません。
他人は変えられないものです。自分が相手によくないところを指摘すれば、相手はあなたが嫌っていることを感じ取り、心を閉ざしてしまいます。しかし、相手が本当に心から「変わりたい」と強く願っているならばこちらのアプローチによってその人が変わる可能性はあります。
好意を持って見方や言い方を変えて接すれば相手は「この人は、自分をよくしようと思って言ってくれている」という理解の仕方をします。
結局はその人自身の心の持ち方が大切なのです。結果として他人は変わらないかもしれないけれど、変わる可能性を信じて、自分の心の持ち方を変えていき、相手にかける言葉を考えていくしかないのです。